イベント

Events

2度目の展覧会に向けてのメモ

2度目の展覧会に向けてのメモ

概要

Outline

「クロニクル、クロニクル!」はたくさんのイベントをしている。このテキストを書いている時点で、100 以上のイベントをしている。食事(食べることはとりわけ大切だ)、トーク、打ち合わせ、撮影、照明のアップデート、避難訓練、上映、講義、パフォーマンス、ギャラリーツアー、そして搬入、搬出も、ひとつの出来事として刻まされていく。「クロニクル、クロニクル!」はそうした出来事の総体である。そこには確かに「展覧会」と「関連イベント」という暗黙のヒエラルキーを崩す効果があったようにも思う。ヤン・フートがかつて記したのとはちょうど逆の、忘れることができ、信じることができるものとして、展覧会とイベントを等価に並べていく試み。

展覧会という形式を意識的に採用する上で、自明となっていることを疑っていくという姿勢は不可欠だ。しかし、すべてをイベントだと記録していく身振りは、世界を無限に分割し、差異化していくことに他ならない。すべては展覧会になりうる。それは前提であり、条件だ。それを結果として提示してしまっては、不毛さだけが残る。だからこそ「クロニクル、クロニクル!」という「展覧会」において、始めと終わりが展覧会であることは、そしてそれが繰り返されることは、重要である。無限に膨れあがる展覧会を、形ある物質に戻すこと。

「もしかしたら一度起こったことで、それで完結するものなんて何もないんだ。」ーーこの台詞の意味を濫用してはならない。形を与えることは、何かを終わらせることだ。理想と無限を物質が引き受けるとき、形が必要となり、限界が生じる。展覧会はそうしたフレームとして確かに機能する。むしろそこに展覧会の可能性はある。したがって、2回目となるこの展覧会は確かなる終わりへと向かうべく制作されている。考えてみれば、名村造船所の労働者たちは言うに及ばず、「しごと」とはそういうものである。そして「クロニクル、クロニクル!」は「しごと」としての展覧会だ。繰り返すことについて考えた持続する時間の厚みだ。それはたぶん、この展覧会が物質化し、形が与えられ、会期を終えたとき、性懲りも無く、「さあ次の仕事にかかろう」と、屈託無く言えるくらいの、繰り返し。

キュラトリアル・メモpdf

クロニクル、クロニクル!実行委員会 (写真:中川正子)

日時:

2017.1.22 SUN

おおさか創造千島財団

大阪市芸術活動振興事業助成対象案件